「ただいまー」
   立ち読みをしていたせいでいつもより大幅に遅れての帰宅。
   その証拠に名雪の靴が玄関にあった。
   靴を脱いで早々にリビングに向かう。
   体が冷えてしまったので暖かいものが飲みたいのだ。
  「ただいま…って何見てるんだ?」
   リビングに入るなり目に付いたのは何かを見ている名雪だった。
   そして、一緒になって見ている秋子さん。
  「あ、お帰り。祐一」
  「お帰りなさい、祐一さん」
   俺が入ってくるまで気付かなかったようだ。
   結構真剣に見入っていたみたいだけど、一体なんだろうか?
   視線を名雪と秋子さんの手元に落とす。
   それはアルバムだった。
   それも、結構昔の奴のようだ。
   名雪がまだ小さいし、周りに映っているのはみな子どもだ。
  「これは小学校5年生ぐらいかな」
  「へぇ〜随分と古いアルバムだな」
   なんとなく気になって名雪の隣に座って一緒にアルバムを覗くことにする。
   よく見ると学芸会のステージを写したもののようだ。
   名雪がへんてこな格好をしてステージの上に立っている。
   そして、隣には名雪と同じ格好をした香里…?
  「おぉ…これが香里の子どもの頃か」
   当時から結構髪長かったんだな。
   おまけにストレートだ。
  「あ、その子は違うよ。似てるけどね」
  「うおっ、確かによく見ると違う」
   ってそういや名雪と香里は小学校が違うんだっけ。
   なんとなく、雰囲気が似てるんだよな…
   写真を見ていくと、演じている芸目が分かった。
   白雪姫だ。名雪は七人の小人だったのか。
  「次のページに行くよ〜」
   名雪がページをめくる。
   写真の様子からクライマックスのようだ。
   白雪姫が毒リンゴを食べ、昏睡してしまうシーン。
   白雪姫の周りにいる七人の小人はメンバーがフルチェンジしていた。
   なるほど、こうして人数を稼ぐんだな。
   それにしても、白雪姫役の子…随分と綺麗な子だな。
   整った顔立ち、すらりと伸びた手足…
   次の写真では横たわる白雪姫が写されていた。
   その姿はまるで硝子細工のようだった。
   儚さを秘めた美しさ。
   トクンと心臓が鳴る。
   その綺麗な顔に、釘付けになってしまう。
   …ちょっと待て、相手は小学生だぞ?
   いや、確かに可愛いけどさ…
   名雪と同学年という事は俺たちと一緒なんだよな…?
   このあたりの高校は俺たちが通っている所だけらしい。
   と、いう事はよほどのことがない限り同じ学校にいることになる…
   こんな綺麗な子がいただろうか…?
   …っておい! 落ち着けよ俺!
   写真…しかも小学生の頃の写真見てこんなこと考えるなんて正気か!?
  「祐一、どうしたの?」
  「うぉっ!? ど、どうした?」
  「ボーっとしていたから何かあったのかと思って…」
  「い、いや。なんでもない。気にするな」
   はぁっ…何やってるんだ、俺は。
   写真の子がいるとも限らないし、変に妄想働かせて…
   ………………
  「な、なぁ…この白雪姫をやってる子…うちの学校にいたか?」
  「え? よく白雪姫だって分かったね〜」
  「まぁ、写真を見ていけば自然とな。で、どうなんだ?」
  「あ…うん。いると思うよ。わたしたちと同じ歳だし」
   そうか…
   この街にはここしか高校がないから、いると思う…か。
   とはいえ、よほどのことがない限りはうちの高校に通うらしい。
   隣町の高校なんて移動で一時間も食うらしいし。
   …となると、うちの高校にいる可能性は高いか。
   そうなるとますます分からなくなる。
   来てから日は浅いといえ、これだけ綺麗な子なら印象に残っているはずだが…
   それともかなり変わってしまったのだろうか?
   うーむ…
  「…この子、気になるんだよね?」
  「………………」
   さすがに気付かれてしまったようだ。
   隠すことができないぐらいこの写真だけでやられてしまったらしい。
   はぁっ…俺ってこんなに惚れやすかったっけ…?
  「え、えーと…香里のお父さんがこの劇を撮っていたんだけど…見たい?」
  「え…?」
  「親戚の子がクラスにいたから撮っていたみたいなんだけど…」
  「………………」
   動いている姿を見られる。
   声を聞ける。
   その事だけで鼓動が早くなる。
   ………………………………
  「ゴメン、お願いできるか?」
  「うん。香里に聞いておくよ」
   …本当、何をやっているんだろうか。
   従兄弟にこんな事頼むなんて…な。




   キーンコーンカーンコーン…
   チャイムが鳴って、ハッとした。
   周りのみんなが慌しく席を立つ。
   今は何時間目だった…?
  「今のチャイムは四時間目の終了。で、今は昼休みだ」
   …完全にボーっとしていた。
   本当、らしくない。
   昨日見たアルバム。その中にあった写真の女の子。
   さっきまでそのことばかり考えていた。
  「はぁっ…」
   深いため息をつく。
   色恋沙汰で物事に手が付かなくなるなんて本当久しぶりだ。
   それもかなり重度らしい。
   おまけに引き金はたった数枚の写真。おまけに子どもの頃のやつと来たものだ。
   改めて考えると異常だ。
   異常…なんだけど…
  「おーい。さっさと学食行くぞー?」
  「お、おぅ」
   北川に呼ばれて慌てて北川の元へと走った。


  「あ、相沢君。名雪から聞いたんだけど…ビデオ、今日もって行くわ」
   無事に席に着くなり唐突にそう言われた。
   ビデオ…学芸会のやつか。
   声を…聞けるのか…
  「…大変ね、相沢君も」
   うぅ…恥ずかしい…
  「スマン、世話になる…」
  「ん? 一体何の話だ?」
  「………」
   事情を知らない北川を置いてきぼりでその話はお開きになった。
   名雪は終始無言だった。
   ふと見た横顔は…どこか悲しんでいるように見えた。
   その悲しい横顔が目に焼きついて離れなかった。




  アルバムの中の君




  「ただいまー」
  「ただいま」
  「お邪魔します」
  「あら、お久しぶりね」
   気がつけば、授業は終わっていた。
   そのまま香里を連れて家に帰って…そのすべてが気がつけば終わっていた。
   あの子のことを想うと、そのまま時間が過ぎているのだ。
   自分がこんなにも色恋沙汰でおかしくなるなんて本当信じられない。
   俺と同じ状態のクラスメイトを北川と一緒に笑っていた日があるなんて信じられないほどだ。
   今の俺は笑われる立場なんだろうな…
  「ほら、ボーっとしてないで行くわよ」
  「あ、ああ…」
   いかん、またやってしまった。
   早く解決しないとマズイなこれは…
   リビングにあるビデオデッキに香里が持ってきたビデオを入れる。
  「画質は保障できないけどね」
  「それは仕方がないさ」
   家庭用ビデオだし、映像自体も結構古いやつだからな。
   リモコンの再生ボタンを押す。
   画面が一瞬青くなり、ノイズとともに学芸会らしい光景が画面に映る。
  「続きましては5年〜」
  「あ、ちょうどこれだわ」
  「なんだか懐かしいね」
  「もう5年以上も前なのよね…お父さんが、小学生をビデオに撮り放題だ、とかはしゃいでて恥ずかしかったわ」
   ……何か、美坂父の聞いてはいけない趣味が垣間見えたような気がするが、聞こえなかったことにしよう。
   画面に目を戻すと、幕が引かれ、演技が始まっていた。
   幕が引かれ、演技が始まる。
   −むかし、むかし。雪が振る寒い冬…−
   ナレーションとともに、舞台に継母の姿が現れる。
   スポットライトで照らされた姿はまだはっきりと見えない。
   やがて、場面が変わるとステージ上には白雪姫と継母が立っていた。
   …あの子だ。
   カメラがズームした。おかげで顔がしっかりと見えるようになる。
   白雪姫の美しさに嫉妬した継母は狩人に白雪姫を殺すよう命令する。
   狩人の計らいで難を逃れる白雪姫。
   そこで出会った7人の小人。
   ちょうどこのあたりから、舞台へとカメラがさらにズームし始めた。
   ズームした先にいるのは、白雪姫。
  「………………」
   その子は、とてもきれいだった。
   決してやましい意味でなく、純粋にきれいだった。
   少女の持つ儚さだろうか…すぐ壊れてしまいそうな美しさが、そこにはあった。
   さっきから鼓動がうるさい。
   ばくばくと体の中から聞こえてくる。
   台詞はよく聞き取れなかったけど、すごく澄んだきれいな声だ。
   こんな子が…うちの学校にいるのか…?
   俺の知る限りではこんな子は知らない。
   名雪はうちの学校にいるかもしれないと言った。
   どこに…どこにいるんだ…


  「…本当、すっかりとお熱みたいね」
  「っ!?」
   一気に意識が現実に戻る。
   ビデオは終了し、取り出したビデオは香里が持っていた。
  「相沢君、一応聞いておくけど…本気なの?」
   …香里の言っている言葉の意味。それが痛いほどわかる。
   こんな形で一目ぼれしてしまっていること。当てもない恋をしているということ。
   それでも、この胸を焦がす想いは…
  「ああ、本気だ。どうやら俺は本気でやられちまったらしい」
   想いは…本物だ。自分の心に嘘はつきたくない。
  「…なるほど」
  「………………」
   寂しそうな顔で俺を見る名雪。
   …どうして、そんな顔で俺を見るんだろうか。
  「…仕方がないわ。今回はキューピットになってあげましょ。前に名雪から話聞いてるから事情は知ってるいるし」
  「え…?」
  「その子…いちごって名前なの」
  「いちご…」
   変わった名前だけど、すごく雰囲気に合っている。
   その名前をつぶやくだけで、心の奥が変に熱を帯びてくる。
  「その子が普段出入りしている場所も知っているけど…それはちょっと待ってちょうだい」
  「…という事は、うちの学校にいるのか?」
  「ええ。クラスは違うけど同学年」
   そうか…なんか、ホッとした。
  「ところで…なにか不都合があるのか?」
  「教えること自体は特に問題はないけど…一つ、解決しなきゃいけないことがあるのよ」
   香里の言葉に、名雪が一瞬ビクッとなった。
   …解決しなきゃいけないことって何だ?
   俺にはどうもピンと来ない。
  「こればっかりはあたしがどうこうできる問題じゃないから、告白はその問題を解決したあとでね」
  「ちょっ!? こ、告白って…!!」
  「あら、好きなんでしょ?」
  「う…ま、まぁたしかに好きだけど…でも…」
  「…好きなら好きだって言わないと、あとで後悔するのは自分よ」
  「………………」
   ピンポイントで痛いところをついてくれるなぁ…
  「と、とにかく…ありがとう、香里」
  「どういたしまして。親友が幸せになるのは見ていて楽しいものだから応援するわ」
   …いい友達を持ったと心から思った。
   どんな結果になっても、この思いは変わらないと思う。
  「あら、好きなんでしょ?」
  「…好きなら好きだって言わないと、あとで後悔するのは自分よ」
   ………………………………
   告白…か。
   まだ、気持ち的にそこまでは踏み切れない。
   それはきっと。あまりに不思議な出会いがきっかけだったから。
   子供のころの姿しか知らないのに、こんなにも本気になってしまっているから。
   気持ちは本物だが、いいのだろうかと思ってしまう。
   なんとなく後ろめたさ…そんなものを感じてしまっているんだ。




   キーンコーン………
   チャイムの音がずいぶん遠くから鳴っているような感覚。
   朝起きてから今まで、なにをしていたのか思い出せない。
  「…なぁ、水瀬。相沢どうかしちまったのか?」
  「うん…ちょっと…」
  「不治の病ってやつよ」
  「不治の病? おいおい、まさかアレか? 相沢に限ってそれは…」
  「こういうのは知らない間に重篤患者になるものよ」
  「マジかよ…」
   周りの声もただ聞こえているだけで、その意味を理解することができない。
   授業なんて完全に聞き流しだ。
   友人の話し声すら、ただ聞こえているだけになってしまっている。
   理解しているはずなのに、治せない。
   気がつけば、いちごのことを想っている。
   アルバムの中の少女、まだ姿を見ない想い人…
  「…重篤だな」
  「とりあえずあたしたちだけで学食に行きましょ」
  「…うん」
   気がつけば、香里たちは席を離れて歩き出していた。
   …ごめん。
   声にならない謝罪を、ここにいない友人たちに向けた。




  「相沢、中庭のあの子ってもしかすると…」
  「っ!? ど、どこだ!!」
  「あれはFはあるぞ。いい乳してるよな〜」
  「………………」
  「…悪かった。そんなに睨まないでくれ。それよりもう放課後だぞ」
  「…そうか」
   昨日に続いて、今日も一日ボーっとしたまま終わってしまった。
   このままじゃいけないってわかっているんだけど…
  「…なぁ。よかったら帰り付き合ってくれないか」
  「…悪い、そんな気分じゃないんだ」
  「オレでよかったら、多少話は聞いてやるぞ。途中笑っちまうかもしれないけどな」
  「………………」
   こういう話を他人にするというのはむちゃくちゃ恥ずかしい。
   そんな恥ずかしい話でも、話す気になれる存在…それが親友ってやつなんだろうか。
   知り合ってからまだそんな時間も経ってないんだけどな…
  「それじゃあ、俺の恥ずかしい話をいっぱい聞いてもらおうかな」
  「OK、とことん付き合ってやろうじゃないか」


   相談に乗ってもらう以上は可能な限り隠し事なく話すのが礼儀だと思い、出会い(?)から昨日までのことをすべて話した。
  「…と、いう事だ」
  「変だ。もうこれ以上ないぐらい変だ」
  「予想通りの感想をありがとう」
  「…でも、個人的にそういうのは好きだぞ」
  「案外ロマンチストなんだな」
  「意外だろ?」
   こうして茶化してくれると、本当にありがたい。
   話す相手が北川でよかったと思う。
   変に気まずい雰囲気になるより、ずっと気が楽だ。
  「…さて、今から俺はひとりごとを言うぞ」
  「………………」
  「よければそのまま聞いてて欲しい」
  「……ああ」
  「オレは…こういう恋があったっていいじゃないかって思うんだ。人の想いなんてそれこそ一人一人違うってもんだ。
  他の人と違っていて当たり前。自分の想いを信じれる…そういう確かなものがあれば、それはどんなきっかけであれ
  どんな形であれ、本物の想いなんだ。相手に笑われるかもしれない、変だとか気持ち悪いとか思われるかもしれない。
  それでも…自分の想いは大切にしなきゃいけないんだ。あとはそれをどれだけうまく相手に伝えられるか…
  それは、経験と知識を重ねてってやつだな」
  「………………」
   目の前にいる友人が、俺よりずっと年上で格好いい大人に見える。
   北川も、いろいろ経験してきてこういう結論を出せるようになったんだ…
  「…サンキュ」
  「オレのひとりごとだけどな。最後は自分で決めるんだぞ」
  「ああ。そうするよ」
   なにか吹っ切れた気がした。
   どんなに後ろ指差されても、どんなに笑われても…俺はこの想いを伝えようと思う。
   こんな…ここまで本気になれたのは…多分、初めてだから。
   ………………
   一瞬、脳裏をよぎった姿は誰のものだろうか…?
   もう一度思い出してみようとしても、それは適わなかった。
  



   なんとなく、ベランダに出たくなった。
   吐く息は白く、外気は容赦なく冷たい。
   でも、しばらくここにいたい気分だ。
   夜空を見上げて想う。
   不思議な出会いをしたものだと。
   これから先、どうなっていくかわからないけど…自然と不安はない。
   迷わず、進んでいける。
  「学校でなにかあったのかな」
   名雪が部屋から出てきた。
  「…人生の先輩に教えを貰ったんだ」
   同い年だけど。
  「…明日、告白するの?」
  「…できればそのつもりだ」
  「………………」
   また、寂しそうな顔。
   この話をするときは、いつもこんな顔だ。
  「…あーあ。負けちゃった」
  「………………」
   そのひところで、ようやく確信した。
   今まで考えないようにしていた。自分の思い上がりだと想いを無視してきた。
   ずっと、想いは向けられてきたはずなのに…
  「…ごめん」
  「しかたが、ないよ。祐一が選んだのは…いちごちゃんなんだから」
  「…そうだな」
   いちご…まだ顔を見ぬ想い人。クラスも、しっかりとした名前も知らない。
   彼女の気持ちも…まだ知らない。
  「ねぇ、もし…祐一がいちごちゃんに…」
   ………………
  「……それはダメだ。いちごの想いも、名雪の想いも踏みにじることになる。俺は不器用な男だから、さ…
  一人を好きになったらその人しか見ていられないんだ」
  「………………」
   恥ずかしいことを言っている。でも、これは本心。
   隠してはいけない、ちゃんと伝えなきゃいけないこと。
  「やっぱり、祐一は祐一だね。わたしが…わたしが好きだった祐一だよ」
   好き…好きだった…
   一つの恋が、ようやく決着した。
  「ありがとう、祐一」
  「…ああ」
   ごめんという言葉を飲み込んで、答える。
   ここは謝るところではないから。せめて最後は、こうして笑っていたいから。
  「そろそろ戻らないの?」
  「もうちょっと、いようと思う」
  「…それじゃあわたしも、もうちょっといようかな」




   教室には珍しく香里と北川がそろっていた。
   たいてい北川が俺たちと同じかちょっと遅いぐらいだから、ちょっとびっくりした。
  「おはよう、名雪」
  「おはよ、香里」
  「…おはよう、相沢君。いい顔になったわね」
  「褒めてもなにも出ないぞ」
  「それじゃあ、あたしからプレゼント。彼女の出入りしている場所…教えるわ」
   …香里の言っていた決着は、やっぱり名雪のことだったんだな。
   その決着も、昨日ついた。
   もう迷うことは…ない。
  「放課後…」
  「………………」
  「………………」
  「………………」
  「この気持ちに、決着をつける」


   香里から聞いた場所、それは生徒会室。
   彼女…いちごはそこにいるとの事。
   まさか生徒会役員だったとは…意外だ。
   とはいえ、まともに生徒会役員を知らないのである意味知らなくて当然かもしれない。
   目の前には生徒会室の扉。
   木製の扉の前で、固まってしまう。
   いざ目の前にすると…やはり、緊張する。
   だけど、ここで引き返すことはしない。
   結果がどうなっても、俺はやるんだ。
   コン、コン
   ドアを軽くノックする。
  「どうぞ」
   中から澄んだ、男の声が聞こえてくる。
   ドアノブに手をかけ、ドアを開け放つ。
  「………………」
   この向こうに…彼女が…
   ドアを開けた向こうに広がる、生徒会室。
   正面にある長テーブルにはやりかけの書類と湯飲みが置いてある。
   部屋を見回してみるが、誰もいない。
   …ただ一人を除いて。
   長テーブルの一番窓側…いろいろと有名な"彼"がいた。
  「こんにちは。いったい何の用かな…?」
   ……俺はどうもあの男が苦手だ。
   特別なにがあったわけじゃないけど、潜在的に苦手意識が働いてしまう。
  「あ…実は、人を探しているんだ」
  「…人? ここの役員かな」
  「役員かどうかはわからないんだが…ここに出入りしている、"いちご"って子を探しているんだ」
  「いち…ご?」
  「ああ。会った事ないから特徴とかはわからないんだが…」
   仮に、ここにいなくても手がかりがつかめればいい。
   久瀬なら放課後はずっと生徒会室にいるから、何かしら知っているはずだ。
   今日が無理でも、きっかけを掴めれば…
  「…君が探している人とは違うかもしれないが、ここに出入りしている人で"いちご"って名前の人間は僕しかいない」
  「………………………………はい?」
  「僕の名前は『久瀬 一護』だ。もしかして、まだ知らなかったかな」
   ………………………………
   アノ…コレッテ…ソノ…エッ…?
   全身から脂汗が流れ出している。
   嫌なものが腹の奥からこみ上げてきている。
  「アノ…久瀬サン。小学生のころ、白雪姫をやった"いちご"って女の子のこの事は…知ってますか?」
  「っ!?」
   久瀬の顔色が変わった。明らかに青くなっている。
  「…嫌な事を思い出させてくれるな。忘れるわけがないよ、あの事は…」
   ………………………………
   イヤナヨカンガスル。
   モノスゴク、トテツモナク、イヤナヨカンガスル。
  「…白雪姫をやった"いちご"は、僕だ。女装して劇に出たんだ」
  







   学芸会当日、白雪姫役の女の子が高熱を出して寝込んでしまった。
   小人であれば代役を探すのも苦労しないが、なんせ一番の主役の代役となるとこれは厳しい。
   当然、台詞を覚えている人はいなく、クラス全体に絶望的な雰囲気が流れていた…
   そんななか、一人の少年が手を上げた。
  「先生、僕台詞すべて覚えています」
   その少年は久瀬一護。クラスの中で最も頭の冴える少年だった。
   彼は、影ながら代役に台詞を教えていく方法を提案した。
   しかし、それはなかなか厳しく…再び振り出しに戻ってしまうかと思われていた。
   そんな中、一人の少女が名案とばかりに手を上げた。
  「一護君を白雪姫にしちゃおうよ!」
   その言葉にうなずくクラスメイト。凍りつく久瀬少年。
   その提案をした少女は…祐一が香里に間違えた少女。その人である。
   久瀬少年は当時非常に声が高く、女の子のようであった。
   さらに、非常に中性的…いや、女の子寄りな顔をしていた。
   嫌がる久瀬少年に、先生はこれもクラスのため…とお願いした。
   責任感の強い彼はしぶしぶ代役を引き受けることとなった。
   そして、白雪姫に変身した久瀬少年は無事、代役を勤め上げた。
   あまりに可憐な容姿に、しばらく久瀬少年は好奇の目で見続けられた…らしい。








   ………………………………
   こんな、ことが、あって、いいのだろうか。
   目の前にいるインテリ系青年があの可憐な女の子だったなんて。
  「本当、あれは今でも軽いトラウマだよ。女の子っぽいのが当時一番のコンプレックスだったからね」
   はははっと笑ういちご…もとい一護。
  「でも、なんだかんだ言ってあれはあれで楽しかった…かもしれないな。いやはや、懐かしい思い出だった」
   …確かに、妙に中性的で男らしいって感じではないと思うさ。
   でもさ。これって…こんなのって…ありかよ!?
  「そういや、探し人は僕でいいのかな?」
  「…すまん、人違いだった」
  「そうか。そうなると他に心当たりはないな…すまないな、力になれなくて」
  「ああ。こっちこそ忙しいときにすまないな」
   軽く一礼して、生徒会室を後にした。
   バタン。
   ドアが閉じる音が、この恋を終わらせる音のような気がして、切なかった。
  「はは…ははは…」
   乾いた笑いが止まらない。
   人って、本当に悲しいと気って笑っちまうんだな…
  「お、戻ってきた」
  「祐一、どうだった…?」
  「はは…ははは…はははははっ」
  「………………」
  「………………」
  「まったく…話を聞いただけのあたしが覚えていて、当事者の名雪が知らないなんて…ねぇ」
  「あれ…もしかしてわたしの記憶違いだったかな?」

   ナニかがくズレるオトがしタ。

  「バッチリ会えたはずよね? "いちごくん"に」

   ガラガラとおとヲタテて、なにカガくずれテイク。

  「……傷ついた心を癒すのは、新しい恋よ」
  「うわぁぁぁああぁぁぁぁあぁぁあああぁぁん!!」
   走りたくなった。泣きたくなった。
   全速力でその場を走り去った。泣きながら走り去った。
   散々恥ずかしいことを言った。本気で好きになってしまった。
  「ちぃくしょおぉおおぉぉおぉぉぉぉおおぉぉ!!」
   夕日は、無慈悲なまでに綺麗だった。
  





あとがき

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